花と料理を同時に学びたいと思ったが、若い頃はそんな教室がなかった。それならば、と1985年、先輩たちと自分が欲しかった教室を札幌に開校した。紆余曲折(うよきょくせつ)はあったが、今も各地で学びの場を提供できていることは無類の喜びである。
義母が料理学校の校長を務めていたため、わが家には異様な量の食器がある。その嫁がこの仕事。結局、わが家には和洋中華ほか、各種食器やカトラリーがあふれることになった。断捨離(だんじゃり)だ終活だと騒々しい周囲に刺激を受けて、私も片付け作業を始めてみたが、これが難しい。目の前のガラクタをいま一度手にとって見直してみたくなった。
昭和40年代、わが家には定期的に食器が届いた。大手食器メーカーの頒布会があったのだ。同じフルセットをお持ちのご家庭がたくさんあるのだろうと思う。わが家も転居が重なり欠けたものも多いが、先日、懐かしい葡萄(ぶどう)柄の器をみがいて食卓に並べたところ、娘が「このお皿、素敵!」と叫んだ。
高度経済成長期、あなたの祖父母が集めた器なのだと、あなたの母はこの食器で育ったのだと胸がいっぱいになった。そして不思議なことに、バブル期に集めた高価なヨーロッパの銀器より竹製の柄のついたものや安っぽいステンレスのナイフやフォークの方を若い人たちは素敵だという。
食卓の道具から戦後日本の西洋化の変遷が見えてきそうだ。捨てる前にガラクタたちにはもうひとがんばりしてもらおうと思う。(生活デザイナー)