函館に桜が咲いた。札幌はいつ満開かと、せっかちな周囲は桜の話題で今年も騒々しい。1月中旬に沖縄で開花したのち、3月21日に九州をさておいて東京で開花。その時もちょっとした騒ぎだった。
その後、ニュースでも頻繁(ひんぱん)に刻々と変わる桜前線を話題にしている。ついに北海道に上陸と例年通りの報道を聞きながら、今年も私は考えている。なぜ桜ばかりが咲いたの散ったのと騒がれるのだろうか。全国ニュースになる理由はなんだろう。
桜は日本を代表する花だからだと人はいう。卒業式や転勤などが3月、入学式や入社式などが4月の日本は、ちょうど満開になる桜が人生の岐路を飾る花として人々の心に深く刻まれるということか。それにしても、花が咲いた時に感動したり喜ぶのは古今東西同じだろうが、桜のように散るさまを「もののあわれ」とか「いさぎよさ」と評価する感性はきわめて珍しいではないだろうか。
赤穂浪士で有名な浅野内匠頭の辞世の句「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」はあまりに有名である。この花が桜であることは言うまでもない。明るい句の多い一茶も「死に支度 いたせいたせと 桜かな」と読んだ。「同期の桜」はどう解釈したらよいものか。
いずれであれ、咲いた姿と同じように散るさまに心動かす日本人には独特な美意識と感性があることは間違いない。毎年この季節、私はその理由を考える。(生活デザイナー)