年末の旅では食材店を視察するのも目的の一つだった。中でも魚屋さんは興味深かった。氷の上に並ぶ牡蠣はサイズで分けられ、その場で食べさせるところもあった。むき身の海老は数種類あったが、どれも東南アジアなどからの輸入だろう。
チェルシーマーケットでは茹でたロブスターが大人気。20ドルと高価だったが、娘と2人で食べるには充分なボリュームで、塩とオイルをつけて立ったまま食べるのもまた一興だった。魚を並べたケースにはサーモンが目立ち、次いでタラ、巨大なオヒョウやヒラメも稀にあったが、いずれも写真のように大きな塊ばかり。シンプルな調理法が想像できた。
食生活論の講義も終盤となり、「一物全体」という考え方について触れた。植物でも動物でも部分的ではなく丸ごと全体を食することが自然の理にかない、結果的に栄養のバランスがとれるとする考え方である。鮭は卵巣だけでなく頭部は氷頭なますにするし、メフンと呼ばれる腎臓の塩辛は珍味中の珍味。骨も皮も残すところなくすべて食べる。一物全体の好例だろう。ちりめんじゃこやシシャモは頭から尾まで全部食べる。イワシやサンマもやわらかく煮れば骨ごと食べる。
日々私たちの食卓に上る魚は季節ごとになんと多彩なことか。そして食べ方の多様性も他に類をみないのではないか。刺身、塩焼き、照り焼き、煮付け、味噌煮、もちろんムニエルも手の内である。日本はスゴイ。魚のケースを前に私は誇らしい気持ちになった。(生活デザイナー)