函館新聞で毎週土曜日に掲載している「Let’sTry(レッツトライ)理科実験」が、27日掲載分で1000回を達成した。1999年11月から約20年にわたって連載を続けている立命館宇治中学高校(京都府宇治市)の教諭、渡辺儀輝さんにこれまでの歩みを振り返ってもらうとともに、今後の目標なども聞いた。
――1000回を振り返って。
20年間というとても長い期間ですが、あまりそのような印象はなく、毎週やってくる執筆もすっかり日常となり、すっかり生活の一部です。ネタが尽きることは、とよく聞かれますが、普段から100円ショップやインターネット、理科の実験本で素案を練っているので、アイデアは尽きることはありません。20話先の実験ネタをいつも考えていて、その流れが途切れないようにしています。
――始まったきっかけは。
1999年の8月に実施された「青少年のための科学の祭典函館大会」の取材に来られた記者との雑談からこの連載が始まりました。科学館がない函館で、日常的に科学に触れるテレビ・ラジオ番組、または新聞記事はないかなと。それがまずは10回くらいの連載でどうですか、と紹介され同年11月7日に連載を開始しました。その後、FMいるかで科学番組が、NCVで実験番組がスタートし、今から10年前は、新聞・ラジオ・テレビで科学の実験を「なべ先生」が紹介していましたね。函館新聞で実験の手法を、NCVでそれを実際にやってみせ、FMいるかでその実験がそのような科学技術とつながっているかを解説していました。科学を使ったメディアミックスを「なべ先生」というキャラクターでやっていました。
――執筆の苦労ややりがいなどは。
やはり歴代の担当の記者さんとの思い出は印象的です。担当の記者さんは記者になったばかりの方や若い方が多く、毎週送られてくる私からのファクスやメールに目を通し、完成原稿を私の自宅に送りチェックをする、という日々なのですが、忙しい中毎週毎週やっていただき、感謝しています。担当していただいたときは独身だったのですが、ご結婚され、子どもが生まれ、いったん記者を退きながらも、再びカムバックされた方もいて、時の流れをとても感じます。
1000話すべての原稿を持っていますが、それを見返すたびに、担当の記者さんのことを思い出します。1000話になりました、とお知らせしたらとても喜んでくれた方もいました。そして一番長く担当していただいた記者が学生時代を過ごした場所が、現在私が住んでいる京都の南部だったということで、不思議なご縁を感じています。
――印象深い回は。
やはり東日本震災のときの津波と地震の解説話、函館・道南の自然災害の歴史についての解説は反響が大きく、もう少し詳しく解説してほしいというリクエストが、その当時勤めていた市立函館高校に直接来たりしました。インターネットでも公開していたので、この連載を地球の反対側のメキシコの日本人学校の先生が印刷し、生徒たちに紹介したり、地域の理科実験イベントに使ってくれたこともありました。ほかに米ロサンゼルスの日本人学校に子どもを通わせているお母さんから問い合わせがあり、実験道具の作り方をスカイプで伝えたこともあります。
そして何と言っても一番なのは、この連載の限定実験80話がフルカラー版として出版され、日本語版、中国語版、ハングル版となり、そのハングル版を持った韓国の物理の先生が私に会いに函館にやって来て、先方の持参されたハングル本に私がサインをした、というのが何ともグローバルな感じがして、今でも印象に残っています。
――今後の展望は。
300ホールドを達成した北海道日本ハムファイターズの宮西尚生投手が、ヒーローインタビューで次の目標は、の質問に「301ホールドです」と答えたように、1001話からコツコツ積み上げて、このライフワークを続けていきたいと思っています。くしくも1000話は4月27日、1001話は5月4日。平成最後が1000話、令和最初が1001話です。新しい時代にふさわしい、目からうろこの落ちるような、スカッとする理科実験をこれからもどんどん書いていきます。応援よろしくお願いいたします。