函館大妻高校(池田延己校長、生徒320人)は今年、創立100年を迎える。校訓「恥を知れ」を胸に、学びやを巣立った卒業生は2万4000人以上。5日には同窓会員ら約250人が出席し、同校で記念式典を催す。
1924(大正13)年、東京大妻技芸学校(現大妻学院)で学んだ外山ハツ初代校長が、大妻学院の創立者大妻コタカから分校設立の許しを得て、同年4月に函館市蓬莱町(現・宝来町)に開校したのが始まり。翌年の校舎新築とともに松風町に移転し、同窓の神田(こうだ)マスコさんを右腕に、裁縫と手芸教育に併せて「良妻賢母」を目指した人間教育に力を注いだ。1953年に川原町(現・柳町)の現校地に移転した。
池田校長(78)は、1970年に同校に就職。当時は神田さんが生徒の課題から教員の指導、掃除まで学校の隅々に目を光らせていた。「先輩の先生方はとても熱心で、裁縫・手芸の技術も高かった。神田先生にはいつも怒られてばかりでした」。外山初代校長はいつも背筋がピンと伸びていたのが印象的だったといい、池田校長は「足が悪かったようだが、そんなことはおくびにも出さなかった。1983年に亡くなる1年前から車いすになるが、最後までりんとした方でした」と振り返る。その後、校長は初代校長の息子の外山正さん、孫の外山茂樹さんと引き継がれたが、2009年の茂樹前校長の急逝で、当時教頭を務めていた池田校長が4代目に就任した。
かつて家政科のみだった同校は、時代の要請に応じて福祉科、食物健康科、普通科を加えた4科構成に変わった。大妻学院から引き継いだ校訓「恥を知れ」について、外山初代校長は生前「他人に対して言うことではありません。自分の良心に恥ずるような行動をするなという、最も大切な根本的なものがこの中に含まれているのです」と語っていたという。建学精神の「良妻賢母の育成」、大妻魂の「不撓不屈(ふとうふくつ)」を含めた3つの理念については、池田校長も折に触れて話しているといい、「この3つは校長の代が移っても、学科構成が変化しても変わらない」と力を込める。
記念式典では、神田さんと茂樹前校長ゆかりの「最古の日本製ピアノ」とされる西川ピアノが披露される。明治時代の楽器職人・西川虎吉の手によるもので、神田さんが山口県の生家から寄贈したとみられ、開校時から戦後まで使われていた。2007年に再発見された際、茂樹前校長が原型通りの復元を決め、演奏を楽しみにしていたが、完成前に急逝したためかなわなかった。
式典での演奏は、函館のピアニスト高実希子さんが務め、函館大妻の歴史を築いてきた功労者をしのぶ。(神部 造)