商売繁盛の仏神が起源
地域の人と手を携えご利益に感謝する祭も
青柳坂沿いに立つ「天祐寺」は、1850年、現在の福島県から訪れた智秀房広照阿闍梨が、象頭人身の仏神・大聖歓喜天を祭ったのが始まり。後に薬師如来を本尊に迎えて信者の供養を担い、江戸末期には、等澍院(蝦夷三官寺・様似町)の箱館休泊所として「天祐庵」と称され、84年に現在の名前となった。寺は1934年の函館大火で全焼し、36年、東京代々木上原にあった紀州徳川家の江戸屋敷を移築した客殿は、気泡の入ったガラス窓や棚細工、襖絵がそのままに残され、東京大空襲の被害を免れた貴重な邸宅建築となっている。
別堂に祭られる大聖歓喜天は、十一面観音と結ばれた双身仏として、良縁成就、夫婦円満をはじめ、特に商売繁盛のご利益で崇敬を集めてきた。大正から昭和にかけて、近隣が花街として栄えた時代には、芸者衆も祈念に訪れ、例大祭では舞が披露されていたという。この祭りは第二次世界大戦の混乱で一時途絶えるも、「もう一度かつての賑わいが見たい」と言う檀家の声に応え、2001年、歓喜天の象徴である象牙を大根に見立てて奉納する「大根祭」として復活。コロナ禍で再び休止を余儀なくされているが、檀信徒や十字街商盛会と一丸となって作り上げた祭りの存在は、地域とともに歩む寺の歴史を物語っている。
(ハコラク 2022年 4月号掲載)
天台宗 福聚山天祐寺
函館市青柳町27‐26
☎0138‐22‐0483
寺務所8:00~17:00
無休 P有り