昔、ベビーベットはレンタルした。短期間しか使わないからだ。レンタルといえば、結婚衣装はその代表だろう。シェアという概念もすでに定着し、家も車もシェアするほうが合理的だとする考え方は若者に広く支持されている。価値観は時代とともに変わる。だが一見無駄やぜいたくに見えても、手に入れることに意義があるモノやコトがあることも忘れたくない。
「どうせ○○だから、△△しない」という場面に遭遇するたびに思い出す逸話がある。主人に靴を磨くように言われた使用人は、どうせすぐに汚れるから磨かなくてもよいのではないかと答える。その翌朝、空腹だと訴える使用人に向かって主人は、どうせすぐに空腹になるのだから食べる必要はないと答えるという話である。中学の教科書に載っていた話だと思う。
終活と称して買い物に消極的な人が周囲に増えている。「死ぬ時に持っていけない」「モノを残されても家族が困る」からだと言う。そんなことを言えばすべては不要不急、無駄に思えてくる。贈答や趣味、自分への褒美などの買い物はまさに不要不急だが、見えない意義がそこにはあるように思う。
写真は97歳の母の同級生から譲られたものだ。旅館の女将時代、大切なお客様のために購入し、たった一度しか使わなかったという。ぜいたくな買い物だったが、よいおもてなしができたと懐かしそうに振り返った。価値観はそれぞれである。「価値ある無駄」もあろう。判断は難しい。(生活デザイナー)