不安ばかりがつのる日々が続いている。テレビをつければ誰もが声を荒げている。さまざまな立場の人たちの苦しい現状が次々に報道され、ことの重大さには言葉もない。世界中がかつてない危険に同時にさらされている。政治や経済には関心がなかった人たちも、国による判断力や対策の違いを目の当たりにしているはずだ。人々の意識の違いも明確になってきた。今のこのつらい経験を、せめてこれからの暮らしに生かしたいと思う。がまんを重ね、価値観を試されるこの日々の経験を無駄にしてはなるまい。
価値観といえば、写真は最近リサイクル市で買った皿である。骨董(こっとう)というほど古くはないが、何を盛ってもサマになる。ぽってりとした質感とにぎやかな柄がなんとも愛しい。深さがあることもうれしい。捨てる人がいれば拾う人もいるということか。価値観はそれぞれである。
豊かな時代を経験して年を重ねた人々の中には、終活と称してモノを処分し始めた人が大勢いる。親の世代の食器は処分されるモノの代表のようだ。戦争を経験した親世代は、急速に多様化した料理に合わせてさまざまな食器をそろえることが楽しみでもあったらしい。昭和40年前後は食器メーカーによる頒布会も増え、同じ食器のフルセットが日本中に広がった。それらも今、リサイクルショップなどでよく見掛ける。価値観は変わる。そして変わらない価値観もある。見極める時が来たのかもしれない。(生活デザイナー)