昔の家には縁側があった。家の中に招き入れるほどではないが、外で立ち話をするよりは親しい人と話すには縁側は良い場所だった。古くは井戸端が貴重なおしゃべりの場だった。今は隣にどんな人が住んでいるか知らない人もいる。むしろ希薄な隣人関係のほうを好む人が増えた。
だが、おせっかいなご近所さんがいた時代には起こらなかった事件が昨今多発している。「赤ちゃんが泣いているけど大丈夫?」とか「最近おばあちゃんの顔を見ないけれど元気?」とか、昭和40年代にはまだ残っていた、地域社会の親密さには大きな役割があったのだ。家族の問題を抱えた人たちが精神的に追い詰められ、孤立してしまわないように、幼い子供たちが辛い思いをしないように、今を生きる私たちは早急に何とかしなければならない。もっとも先日の札幌の衰弱死事件のように、せっかく勇気をもって通報した人がいても、お役所と警察が動かなければどうにもならない。怒りと悲しみはやり場がない。
縁側があったセピア色の時代には戻れなくても、人々が気軽に言葉を交わせる場所が町内にもっとあれば良いのにと思う。写真は東京の門前仲町のカフェである。かつて人々が集った場所を再現したいというコンセプトらしい。モーニングセットを食べに行ったのだが、観光客より地元の人が多い気がした。あいさつや掛け合う言葉が温かいと感じた。若者も巻き込んで、新しい「おせっかいで、たよりになるご近所空間」をつくれないものだろうか。(生活デザイナー)