同期は定年を迎えたのに、雇用の形は不安定だが、一番劣等生だった私がまだ仕事をしている。
この40年を振り返ると世の中の変化は実に大きかった。学生時代、コンピューターは特別な部屋にしかなかった。論文はタイプライターを使った。その後ワープロになり、あっという間にパソコンが普及した。今はパソコン操作ができなければ仕事にならない。なんとか時代についていこうと、ブログも書き、フェイスブックも、インスタグラムにも手をつけている。若いひとたちとの交流も多い。
だが、何かがふに落ちない。誰にも会わなくてもパソコンさえあればできる仕事が増えている。店に行かなくても何でも買える。調べたいことはネットが教えてくれる。コピーして貼ればソコソコの文章は誰でも書ける。
しかし、便利さは決して人を賢くはしてくれない。それどころか、人間性は劣化するばかりだ。何もかもメールのやりとり。文切り型の文しかかけない人が増えている。フェイスブックもインスタグラムも、美しく楽しいシーンばかり載せる。現実と虚像が混在し、「本人」は見えない。
つい最近もメールのやりとりで齟齬(そご)が生じ、大変な事態に陥った。顔を見ながらやる仕事なら絶対に起こらないことだった。ネット社会の恩恵は受けているし評価もする。だが人に会い、目を見て話し、声を聴き、共に食べること以上の機能はそこにはない。まだまだ仕事を続ける予定だが、実に悩ましい。(生活デザイナー)