1985年に花と料理を教える教室を開いた。それなりの修業をして始めたとはいえ、食卓のデザインや紅茶の文化については本場を知らなければ不安だった。時間を見つけては幼い長女を両親に預けてヨーロッパに通う暮らしを3年ほど続けた。学校や当時話題の店で必死に学んだとはいえ、今思えば暴挙である。
だがその時代がなければ今の私はなかった。ロンドンの紅茶文化はたしかに優雅で人々はそれを謳歌(おうか)しているように見えた。忙しい日本の生活にこそ食卓の演出や新しいお茶の文化が必要に思えて、大学とは別に今日までいろいろな場面で指導してきた。
しかし、この年末、久しぶりに訪ねたロンドンで考え込んでしまった。30年前、あれほど感動したアフタヌーンティーのテーブルがどこか違う気がしたからだ。独特の三段重ねの器のスコーンも小菓子もサンドイッチも大ざっぱに見える。ティーポットとて陶器のはずだった。もちろん店によって異なるが、総じて日本のケーキやサンドイッチ、紅茶のサービスのほうが断然丁寧である。いや丁寧に洗練され過ぎてしまったようだ。
パンが乾燥しないようにサンドイッチのレタスやキュウリは千切りにして、何段目には何を、どんなサイズでどんな種類を、紅茶は茶葉によって蒸す時間は厳密になど、ロンドンでは気にする人が果たしてどれくらい居るのだろうか。研究熱心で器用な日本人は、本家のイギリスよりイギリスらしい紅茶文化を発達させてしまったのかもしれない。(生活デザイナー)