渡辺和子さんの著作に「置かれた場所で咲きなさい」がある。タイトルだけで背筋が伸びる。理不尽なことに遭遇すれば、人はみな自分の置かれた環境のせいにしたくなる。だが、どこであろうと、その場所で精一杯生きるのが最善なのだと背中を押されたのは私だけではあるまい。
世の中には家族の事情で住む場所の選択肢のない人が大勢いる。広島時代の友人もその1人だった。東京の一流企業で活躍していたのに、長男だと言う理由で40代早々に仕事を辞めて地方の小さな町に戻った。理由を聞くと、家とお墓があるからねと笑った。彼にしてみれば、一人っ子同士の夫婦である私たちが親を札幌に残して広島県に転居し、自分たちの生活を優先させていることのほうが理解できないようだった。
彼のようなUターン組はかなりいるだろう。幼い頃からそれを当たり前の将来として育つからか、不本意だと捉えている人は少ない。だがその一方で、家庭の事情で将来設計を大きく変更せざるを得ない人も決して少なくない。
私たち夫婦はともに何度かの転校を経験し、それぞれの両親も長男・長女だったにもかかわらず、土地や家にこだわりがなかったため、その苦労を知らない。だが、それは良かったのだろうか。この年齢になっても老後住む場所を決めかねている。
ふと、ふるさとという言葉が浮かぶ。私のふるさとは生まれた街、函館である。先日歩いたこの坂道のなんと懐かしいことか、ああ良かったと私は思った。(生活デザイナー)