市立函館博物館は19日、1934(昭和9)年3月21日の函館大火の歴史を学ぶ講座「忘れない!函館大火」を同館で開いた。当時の市街地の3分の1を焼き尽くし、死者2166人、行方不明者662人を出した惨事を振り返った。
函館では明治以降100戸以上を焼失した火災が26回あり、昭和9年の大火が最大の被害をもたらした。被災者は約10万2000人と、当時の人口約21万7000人のほぼ半数近くが被害に遭い、市街地形成にも影響を与えた。保科智治学芸員は「函館は大火のたびに街が変わり、復興を繰り返して成り立っている」と紹介した。
大火当日は、低気圧接近に伴う強風で、何度も風向きが変わったことも被害を拡大。焼死者(748人)よりも亀田川などでの水死者(917人)が多く、凍死者(217人)も少なくなかった。最初の火の手は住吉町だったが、保科さんは停電もあって、ろうそくやランプの使用が多かったことも各所で火災を広げたと指摘し「東京以北最大の都市で、居住者以外の寄留人口も多く、火の始末をしないまま逃げた人も多かった」と述べた。
また、収蔵資料から、焦土と化した市街地で蔵やコンクリート建築物だけが焼け残っている様子などを伝える、当時の新聞社「北海タイムス」が撮影したニュース映像を公開した。(今井正一)
◇
函館市は21日午前9時半から、市慰霊堂(大森町)で函館大火殉難者の慰霊行事を行う。新型コロナウイルス感染防止対策のため、昨年に引き続き、市仏教会による法要は取りやめるが、午後3時まで、市民が自由に参拝できる。
慰霊行事は、大火翌年に仮慰霊堂で始まり、現在の建物は1938年に完成。近くを流れる亀田川は水死者や凍死者を多く出した場所の一つで、堂内には身元不明者ら679人が無縁仏として納骨されている。