1945(昭和20)年7月14日の函館空襲で戦没した駆逐艦「橘」の犠牲者を供養する慰霊祭が11日、函館護国神社(大橋幸生宮司)で行われた。同艦にゆかりのある人ら6人が参列し、冥福を祈った。
青函連絡船などの護衛に当たっていた同艦は、来襲した米軍機に対して函館湾内で唯一応戦したが、撃沈され、生存者は主に茂辺地周辺で救出された。市民有志らが1991年に同神社境内に建立した慰霊碑には乗組員280人中140人が死亡したことが刻まれ、毎年、慰霊祭が行われている。
これまでは関東圏などに住む元乗組員や遺族らが参列していたが、今回は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、規模を縮小して市内に住む関係者だけで執り行った。
慰霊祭では、参列者が玉ぐしをささげて冥福を祈るとともに、平和への気持ちを新たにした。終了後には慰霊碑にも静かに手を合わせた。父の杏一さんが慰霊碑の建立を呼び掛けたという岡本歩さん(66)は「風化させないためにも毎年参列したい」と話していた。(小杉貴洋)