戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争(1868~69年)で亡くなった旧幕府軍兵士をしのぶ碧血碑碑前慰霊祭が25日、船見町の実行寺(望月伸泰住職)で行われた。雨天による会場変更は2016年以来で、函館碧血会関係者約15人が参列。静かに手を合わせ、戦死者をしのんだ。(今井正一)
箱館戦争では、旧暦の69(明治2)年5月11日に新政府軍による総攻撃が開始され、同日、土方歳三が戦死し、同16日には千代ケ岱(千代ケ岡)陣屋が陥落し、中島三郎助父子が命を落とし、戦闘が終了。この日が新暦で6月25日に当たる。
終戦後、旧幕府軍兵士の遺体は市中に放置されたが侠客・柳川熊吉が実行寺の松尾日隆住職らと協力して埋葬。その後、旧幕府軍の祭祀が許され、75(同8)年に榎本武揚や大鳥圭介らの尽力もあって、函館山に碧血碑が建立された。
例年は、旧幕府軍の子孫らも来函しているが、今年は新型コロナウイルスの影響を考慮し、役員らのみの参列にとどめた。本堂で行われた慰霊祭で望月住職ら僧侶5人の読経が響く中、参列者が焼香した。
北原善通会長(84)は義に殉じた者の血が碧玉となるという碑銘の由来や榎本らの戦い、柳川の逸話などに触れながら「(箱館戦争の歴史から)勉強させられることが多い」と述べ、151年前にあった激戦に思いをはせた。