函館空襲を記録する会(浅利政俊代表)は14日、函館市船見町の称名寺で函館空襲の慰霊祭を開いた。1945(昭和20)年7月14、15両日の函館空襲から74年となり、多くの犠牲者と現在の平和の尊さに思いをはせた。
89年に建立した慰霊碑の碑文を浅利代表(88)が読み上げ、河本悠大住職(26)らの読経に合わせ参列者17人が焼香し、静かに手を合わせた。
浅利代表は、会の活動を振り返りながら「戦争を知らない世代が80歳近くになる中で、組織的に伝えていくことが難しくなった」とする一方、現行憲法の施行後に発行された「あたらしい憲法のはなし」を手に戦争放棄を表現した挿し絵を示しながら、平和への思いを新たにした。
埼玉県朝霞市の会社員海老名惇さん(22)は、祖父が函館空襲時に北斗市葛登支岬沖に沈んだ駆逐艦「橘」の生存者。5年前から14日に合わせ、函館護国神社の慰霊祭を訪れてきたが、今年は日程がずれたため、初めて称名寺にも参列。「橘が守れなかった方々の慰霊もできて良かった」と話し、同艦と函館空襲の歴史を残していくことを誓った。(今井正一)