【北斗】国内海難史上最多の犠牲者を出した洞爺丸台風事故の犠牲者を慰霊する供養法要が26日、七重浜7の七宝寺(油井清量住職)に立つ供養塔「寂光塔(じゃっこうとう)」で執り行われた。乗組員の遺族や関係者ら計約70人が参列。僧侶の読経の中、焼香とともに手を合わせた。
昨年まで青函連絡船殉職者遺族会(富樫淳次会長)が海浜公園内(七重浜7)の「台風海難者慰霊之碑」前で慰霊法要を行ってきたが、会員の高齢化に伴い、組織維持が難しくなったことなどを理由に会を解散している。今回の法要に参加した富樫会長(77)は「連絡船がなくなり28年が経つ。若い人たちが連絡船の歴史や事故の記憶を語り継ぐ意味で法要を続けてもらいたい」と話した。
参列者の一人で、洞爺丸乗組員だった父を亡くしたという函館市の岡崎直子さん(79)は、焼香後「また1年が経ったが体力の続く限り皆さんと慰霊を続けていく」と語った。
海浜公園の慰霊碑でも、朝から花束や供物をささげたり、線香を上げる姿が見られた。乗組員の父を亡くしたという函館市の女性(67)は「これからも個人として慰霊を続けることに変わりない。まだ孫たちに父のことを話してはいないが、いつか孫と一緒に訪れたい」と話していた。
洞爺丸事故は1954年9月26日、七重浜沖で、当時豪華客船のシンボル的存在だった洞爺丸をはじめ青函連絡船計5隻が台風15号の強風を受けて沈没。乗員・乗客合わせて1447人が犠牲となった。このうち128人が七重浜共同墓地で荼毘(だび)に付された。56年に共同墓地隣接地に七宝寺が開創されるとともに共同墓地内に供養塔として「寂光塔」が建立された。同台風は後に気象庁から洞爺丸台風と命名され、青函トンネル建設の機運を高めるきっかけになった。(半澤孝平)