本年度の函館市戦没者追悼式(市主催)が24日、市総合福祉センターで開かれた。市連合遺族会(浜野幸子会長)や市議会議員のほか、関係団体、一般市民ら約190人が参列し、全員が白菊を献花。終戦から71年目を迎えた第二次世界大戦の犠牲者を追悼し、平和への誓いを新たにした。
工藤寿樹市長は式辞で、戦没者への哀悼の意を表すとともに「大戦で学んだ多くの教訓を胸に刻み、悲惨な記憶を決して風化させることなく、平和の尊さを次の世代に語り継ぎ、戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう、恒久平和への貢献と明るく平和な社会の実現に全力を尽くす」と述べた。
その後、遺族代表の板垣千恵子さん(86)が追悼の辞を述べた。菓子店を営んでいた父の三上徳一さんは1944年に召集され、満州で兵役に従事していたが、戦争終結後の45年8月23日、白布で包まれた木箱が家に届けられ、父の戦死を知った。木箱の中に遺骨はなく、名前の書かれた紙が1枚入っていただけといい、家族は木箱が届けられた日を徳一さんの命日と位置付けた。
板垣さんは「当時私は12歳だったが、その時の母の姿が忘れられない。木箱には父への感謝と深い悲しみと、これからの人生への不安な気持ちが詰まっていた」と振り返り、「現在の平和で豊かな生活は、皆さまの尊い犠牲の上にあることを忘れてはならない」と語った。
追悼式は無宗教で行い、現在の形となったのは1995年度から。日露戦争から太平洋戦争までの戦没者は旧市内と旧4町村で計5406人。(千葉卓陽)