臥牛山12月20日・渡辺主筆死去
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんが19日、死去した。政治記者として名を轟かせ、経営者として新聞業界のみならず、プロ野球界など多方面に多大な足跡を残した人だけに惜しまれて余りある▼訃報に接し、本紙の創刊時が思い出される。当時渡辺さんは同社の社長だった。本紙は1997年1月に創刊したが、幾つか壁に当たった。その最大の壁が紙面構成上欠かせない国内外ニュースの確保▼通信社に配信を申し込むも「先行契約者優先」を理由に断られ、時間切れで創刊したものの薄い国内外ニュースに不評が殺到。憂慮した共同出資者の十勝毎日新聞社の林光繁社長(当時)が、渡辺さんに協力を要請したところ快諾してくれたのである▼それからの対応は速く、内山斉専務(当時)の理解もあって1週間で配信システムを作り上げた。その情報は他の地域紙に伝わり、配信を希望する社が2年足らずで20社を超えるまでに▼新聞の創刊は難しいと言われるが、継続はさらに難しい。振り返るとあれから27年。時の流れは早いが、あの快諾があって本紙の今がある。「そんなことがあったんですよ」。感謝しかない。「お世話になりました」。心からご冥福を祈ります。(A)