色彩心理学や茶の文化など、日々の暮らしを彩る知識を学ぶ教室を時々自宅で開いている。昼食は料理研究家の友人が腕を振るってくれ、私は器を選んでコーディネートする。どの料理をどの器に盛るか考えるのが実に楽しい。
今回は中華風のランチ。義母が残した器の登場である。義母は料理学校の校長だったが、写真の少し派手な器は自宅用だった。懐石を得意としていたが台湾で育ったせいか中華料理も気軽によく作った。その義母が残した一人用のセイロを焼売(しゅうまい)の盛り付けに使った。最近買ったセイロも使ったのだが、生徒さんは皆、古い義母のセイロに感動していた。本体は丁寧な曲げわっぱで重厚。蓋(ふた)の竹の編み方も複雑で裏も美しい。本体と蓋との噛み合わせも絶妙なのだ。手にとるとその良さが分かる。大量生産の新しいものとの違いがよくわかる。よい勉強をしたと思う。
先日、長く料理研究家として活躍なさった先生が昨今の白い器のブームを嘆いておられた。作家の個性の際立つ器に料理をどう盛るか、そこに料理人の知恵と技術があるのではないかとのこと。陶芸家と料理人は刺激し合って腕を上げてきたはずだ。いつの間にか「楽」「安い」「簡単」「無難」「使い捨て」という風潮になってしまった。これらはせっかく築き上げた文化の敵ではないだろうか。良いモノは時代を超えて評価される。なんだかファイトが湧いてきた。(生活デザイナー)