函館空襲から今年で丸70年を迎えた14日、犠牲者の冥福を祈る追悼慰霊祭が函館市船見町の称名寺境内にある「第二次世界大戦函館空襲戦災跡地戦災者慰霊碑」前で行われた函館空襲を記録する会(浅利政俊代表)が毎年開いており、今年で27回目遺族ら約20人が霊を慰め、平和への願いを新たにした
慰霊祭では読経が流れる中、参列者一人一人が焼香し手を合わせたまた、空襲を体験し、肉親を亡くした遺族3人が当時の惨状や悲しみを回顧当時8歳で、祖母と弟を空襲で亡くした市内弁天町の木村美保子さん(78)は「老人や子どもたちにあのような思いをさせたくないできるだけのことをする頑張るからね」と2人の御霊に誓った
浅利代表は「若者を戦争に送ろうとするいかなる法律にも断固反対し、未来を継ぐ子どもたちに平和の受け皿をしっかりつくる営みを続ける」と追悼の言葉を述べ、恒久平和を誓った
函館空襲は第2次世界大戦末期の1945(昭和20)年7月14、15の両日、米軍機が函館を襲撃青函連絡船やその関連施設が攻撃されたほか、駒止町(現・弥生町)などに爆弾が投下され、多くの民家が焼失した市民100人以上、青函連絡船の乗組員400人以上が亡くなったとされる(鈴木潤)