最近は大学でもJRの駅でも、スマホ片手にポケモンを探す学生が大勢目に入る。生命科学の講義ではイキモノの面白さや命の不思議などを力説したが、彼らは架空のイキモノに興奮している。情けない。
イキモノの定義は試験に出るよと伝えたので、学生たちはそれなりに解答するだろう。だが本当にイキモノのスゴサを理解できているかは甚だ疑問である。アプリ「LINE」でのコミュニケーションは、絵文字やスタンプを多用して瞬時にできるが、人の目を見て話すことや、文章で相手に気持ちを伝えることは実に下手である。
ヒトという動物が獲得した五感を駆使して得る感動や伝える技術を、若い世代は知らないのではないだろうか。画面越しのコミュニケーションやイヤホン越しの感動など、たかが知れている。偏見だろうか?
文字通り貧乏症で休暇とは無縁で生きてきた。だが先日、べこ餅の調査で小樽に向かった際、あまりの天気の良さに積丹まで足を伸ばしてみた。大人になってから初めての積丹半島は幼い日の記憶の中のそれよりもはるかに壮大で美しかった。潮の香りも髪を撫(な)でる風も、私同様に感動する大勢の観光客の歓声も、何もかもが新鮮だった。
日々の雑務に追われて心身ともに煮詰まっていたような気がした。なんとか時間を作って五感磨きを忘れないようにしよう。そうでなければうっかり画面の向こうの架空のイキモノにも心ときめいてしまうかもしれない。マズイマズイ…(生活デザイナー)