「父」と言っても夫の父なので、義父と書くべきところだが、私には今、たった1人の大切な父である。生まれ育った東京の言葉がそのままで、粋な江戸弁の90歳。20数年前、小さい娘を連れた私を嫁に迎えてくれて以来、どんな時も変らず家族として守り続けてくれた。
その父が歩けなくなった。数年前からつえが必要だったが、この数日で急激に悪化した。脳を含めどこにも大きな問題はなく、年齢相応の機械的な症状とのことだが、とにかく歩けない。体格が良いので、小さい私1人では車いすに乗せることさえできない。多くの方々のご尽力で、ある病院に入院できたのは幸いだった。
姑が亡くなって以来、頑として一人暮らしを貫いてきた。料理も上手で毎日買い物に行き、80代の半ばまでゴルフを楽しみ、書道もその道を極めた。他人は当然のこと、1人息子の家族にも一切迷惑をかけないという思いは想像を超える強さだった。
函館にいる息子はあてにせず、嫁の私を相手に毎週土曜日、おすし屋さんで一杯やるのがこの10年間の慣例だった。必ず日本酒を二合。お造りをさかなに一週間の出来事を話す時の笑顔と粋な会話は秀逸だった。私が作る食卓にもいつも素敵な文字を添えてくれた。
一人暮らしの暗い部屋で倒れているところを発見したのが私で本当に良かった。やっと恩返しの時がきた。病棟の自動販売機でビールを買ってきてほしいと言われたが、残念ながらそれには応えられなかったが。(生活デザイナー)