外見で人を判断してはいけないのは当然である。最新のファッションで身を包み豪華な宝飾をつけていても、なんの飾りっ気もなく質素な身なりだとしても、少し付き合えば人間性はすぐに分かる。
だが、だからといって外見などどうでも良いとは言えない。食器と料理の関係も同じである。器の果たす役割は実に大きい。つい先日も札幌のある有名店でサラダの取り分け皿が気になった。大量生産が悪いとは言わないが、その店にはふさわしくなかった。花柄のプリントがずれているような粗悪な器だったのだ。美味しい店なので、これまで食器の品質は気にしなかったのだが、この時ばかりは思わず手がとまった。
著名な陶芸家の作品やブランド品である必要などない。百円均一ショップで売られる陶器の中には使い勝手の良いものがたくさんある。大切なのは料理との「格」の釣り合いではないか。食空間にふさわしい器であることは言うまでもない。
とにかく日本の食器は多種多様。盛り付けにもいろいろな法則があり、余白の美を重視する。この余白は器の色と柄、作家の手が生んだ質感を堪能するために必要なのだと思う。器と余白を料理と同レベルで評価するのが日本の食文化の特徴ではないだろうか。
写真は先日行った生活美学の講座である。カフェのランチを和食器で味わう試みをしたのだが、いつものプレートが大変身。和食器の魅力には誰も異論がなかった。(生活デザイナー)