新幹線がやって来た。感想を聞かれるたびに良かった良かったと答える。古巣弘前が近くなった。だが、一茶の「目出度さもちゅう位(くらい)なりおらが春」と詠んだ気持ちに少し似て、私のうれしさは「ちゅう位」かもしれない。
6歳まで住んだ函館時代、父は頻繁に東京に出張した。昭和も30年代のことだ。その都度見送った桟橋の色とりどりの紙テープは実に美しかった。迎えに行ったとき、甲板に見つけた父が大きな緑色の輪を肩に掛けていたときは仰天した。フラフープだった。
出発も到着もゆったりとした連絡船の旅は決して悪くはなかった。旭川から弘前に通った学生時代、長い鉄道の旅の後、また4時間も連絡船に乗る。だが私は嫌ではなかった。晴れた日はイルカが伴走した。青い空と海の境界は美しかった。白い波をかきわけるさまはりりしく、暗い海をズンズンと進むのもまた頼もしかった。食堂の海峡ラーメンは格別においしく、揺れる船内でころがって本を読むのも楽しかった。
ついに新幹線がやってきて誰もが喜んでいるのに、私は何を書いているのだろうか。携帯電話もパソコンもなく、移動には相当な時間がかかった時代、人々はそれなりに暮らした。便利さが担保してくれるものには限りがある。長く生きてくるとそれが分かる。
利用上手にならなければ意味がない。新幹線も継続的に大いに利用したい。近くなった東北に今年はせっせと通おうと思う。(生活デザイナー)