こんなタイトルにしたが、卒業を前に学生たちとの別れで感傷的になっているわけではない。もしかしたら人との別れより、もっと深い感傷かもしれない。私は古いステレオと別れた。トラックに乗せた段階で胸が苦しくなった。昭和40年代の始めころから二十数年前に父が亡くなるまで、わが家の一番よい場所に鎮座していた。
だが、今の家に引っ越した十数年前にはすでに「お荷物」と化し、物置に場所ふさぎの邪魔モノとして今日まで放置されていた。それでも処分する機会がくるたびに、レコードのブームがまた来るとか、レトロなインテリアになるはずだなどと、何だかんだと理由をつけて手元に残してきた。だが家の修繕をきっかけに、自分たちの年齢も考えてついに処分する決意をした。とは言え、捨てるには忍びなく迷っていたところ、大工の棟梁がレトロな家電のコレクターだと判明。同じステレオを2台持っているので一緒に並べて置くよとのこと。救われた思いだった。
幼い日の父との記憶の背景にはいつもこのステレオがあった。あまり丈夫ではなかった父はカラヤンが指揮するレコードを聴く時間をとても大切にしていた。このステレオはよき時代の父との日々、そして平和な暮らしの象徴だったのだ。トラックを見送った時、ステレオはわが家から消えたが、家族が過ごした日々の記憶はより鮮明によみがえった。意味のある別れだったと思う。(生活デザイナー)