義父が亡くなって1年たった。その命日、義父が30年前に一期生として入学した高齢者向けの大学で講演をした。義父は書道を専攻して10年近く学び、ゴルフ同好会を作ったり、同期会を結成したりなど、退職後も楽しく充実した日々を過ごした。
その後輩に当たる300人ほどの皆さまを前にお話をさせていただいたのだが、義父が元気でいたら、どこかの席でいつもの笑顔で見守ってくれただろうと思うと胸がいっぱいになった。
頑として一人暮らしを貫き、歩けなくなる日まで誰の手も借りずに買い物にも病院にも行った。ついに歩けなくなったその日、たった一日だけ私は車いすを押した。不肖の嫁には介護と看病を一切させず、入院後2週間で逝ってしまった。
毎週土曜日、行きつけのお寿司やさんで日本酒を飲みながら一週間の話をすることを楽しみにしていた。一人息子である夫は函館在住なので寂しかったかとも思うが、私が札幌に転居してからは酒飲みの嫁を相手に、いつも上機嫌だった。一周忌の命日にご縁のあった大学で講演させていただけたことは、何よりの供養だったかと思う。講演の最後に義父の笑顔をスクリーンいっぱいに映させていただいた。
葬儀や法事のあり方が問われる時代になって久しい。両親には申し訳ないが、私たちの代からは無宗教とし、葬儀も法事も特別なことは何もしなかった。だが家族は皆、日々ことあるごとに先立った父母のことを思い、話題にしている。きっと許してくれていると思う。(生活デザイナー)