函館ゆかりの歌人・石川啄木(1886~1912年)の命日となった13日、函館啄木会(岡田弘子代表理事)は東海山地蔵堂(市住吉町、開米隆成住職)で、108回忌法要が営まれた。関係者や市民ら44人が参列し、故人をしのんだ。
啄木一族の墓は宮崎郁雨や、当時の函館図書館長で岡田代表理事の父の岡田健蔵によって、1926(大正15)年に立待岬に向かう坂の途中に建てられた。今年も岡田代表理事(94)をはじめ、参列者は本堂で焼香し、墓に移動して手を合わせた。
岡田代表理事は「天気も良く、たくさん参加してくれたのでうれしい。何年たっても人気がある啄木はうらやましいですね」と笑顔で話していた。
法要後には、函館渡辺病院循環器内科医長で啄木の研究も行っている水関清さんが「ふたつの『一握の砂』と啄木の『生活の発見』」と題して講演。小説が書けずに苦労していた時代につづられた「ローマ字日記」について水関さんは「田中王堂の評論に出会ったことなど、ローマ字日記の中に啄木が『一握の砂』という後世に残る歌集を書くきっかけになった部分がある」と説明した。(北川隼夢)