さらば、愛しき船―。青函連絡船の元航海士で、函館市青函連絡船記念館摩周丸副館長の佐藤幸雄さん(73)が、11月30日で同記念館の指定管理者、NPO法人語りつぐ青函連絡船の会を退職した。「好きな船に乗らせてもらった。幸せだった」と語り、現役航海士として18年、記念館勤務25年の船乗り生活に別れを告げた。
函館出身の佐藤さんは函館水産高、小樽水産高専攻科を卒業後、民間の船会社を経て1970年に国鉄入社。連絡船航海士として羊蹄丸を振り出しに、日高丸(貨物船)、桧山丸などで勤務した。88年3月の廃止時は八甲田丸の一等航海士を務め、青森からの最終便にも乗船した。
廃止後の91年4月、摩周丸がメモリアルシップとしてオープンした際にはJR北海道から出向する形で当時の運営会社・函館シーポートプラザに勤務。その後、船の運営母体が二転三転してもその都度請われ続け、船の維持管理とともに歴史と経験を後世に伝える“語り部”としての仕事を全うした。「余力のあるうちに好きなことをしたい」と、自ら退職を決めた。
同会には連絡船OBが数人勤務している中、常勤の職員は佐藤さんただ一人。「仲間の中では、連絡船に一番長くいられた」と振り返る。現役時代と記念館職員を通じて「安全第一」がモットー。「港にイルカが迷い込むことがあり、子どもたちに教えればみんな喜んでくれた。『また来るね』『楽しかった』と言われるのが一番うれしかった」と話す。
2008年から指定管理を請け負う同会にとっても、「生き字引」として貴重な存在だった。副理事長の白井朝子さん(65)は「摩周丸は佐藤さんにとって恋人。私たちが大変な時に、たぶん駆けつけてくれると思う」と、変わらぬ縁を強調する。
「ボォー」。午後5時の汽笛に見送られるかのように、最後の勤務を終えた。「寂しさはないけど、明日からどう思うかは分からない」とはにかみながらも、「洞爺丸事故など歴史を振り返る上で、船があるから語れることがある。摩周丸はこれからもずっと函館の港に残っていてほしい」。去りてなお、思いは深い。(千葉卓陽)