臥牛山4月18日・熊本地震
“地震の巣”の上で暮らしている以上、いつ、どこで大地震に遇うか分からない。京を襲った慶長大地震では伏見城などが崩壊し、4万人を超える死者が出た。身一つで庭に逃げた豊臣秀吉を加藤清正が助けたという▼400年前、築城の名人の清正が築いた熊本城は反り返った石垣「武者返し」で知られ、三大名城の一つ。難攻不落で西南戦争にも耐えた。それが今回の熊本地震で天守閣や屋根瓦は飛び散り、石垣は崩れ…▼九州を太いタスキ状に走る活断層。伏見地震と同じく内陸の「横ずれ断層」型の地震とみられ、震度5以上の余震が続く。破壊力はすさまじく、倒壊家屋やブロック塀の下敷きになり、42人が死亡、熊本・大分県では一時19万人超が避難▼大惨事の中、母親が倒壊した家の隙間に手を入れて、名前を呼ぶと生後8カ月の女の赤ちゃんの泣き声。太いはりと屋根の間にできた、わずかなスペースで見つかり、無事母親の胸に戻った映像が救いだった▼道内には内陸の活断層は21、函館平野西縁断層はM6・6の直下型地震が予想される。熊本地震は対岸の火事ではない。清正は常に米3升と味噌など腰兵糧を肌身離さなかったという。日頃から助け合って、震度7への備えが大事だ。(M)