臥牛山3月5日・哲学の木の問い
公園に大きな木があると、ついそばに行ってみたくなる。太い幹に手を当てると、心が落ち着く▼上川管内美瑛町の農地に立つポプラが、所有者の手で倒されたことが話題になった。通称「哲学の木」。丘陵地に思索にふけるように立つ姿が人を引き付け、町内でも有数の撮影スポットになっていた▼老木でいつ倒れてもおかしくなかったこと、注意を喚起しても農地に踏み入る観光客が後を絶たず、農作業への支障が懸念されることなどが、決断の理由とされる。ただ、所有者の胸にそっと手を当てることができても、心の揺れ幅は分かるまい▼交流人口の増加。普段の生活に人が入り込む。特に海外観光客だった場合、生活習慣の違いに戸惑うこともある。美瑛の場合、畑に入ることによる病害の侵入も危ぐされた。「地域を知り、地元の産物を味わってほしい」。受け入れ側の思いは不変だが、互いの思いやりが必要になってくる▼哲学と聞くと、訳も分からずありがたがる一人である。「哲学の問いは基本的に『私はなにをしているのか』という形をとる」(哲学な日々、講談社)と、哲学者の野矢茂樹氏。「なぜ倒れることになったのか」。在りし日のポプラの写真は問い続ける。(Z)