野幌森林公園にある北海道百年記念塔が解体される。北海道命名百五十年目の年の決断に複雑な心境である。一般公開されたのが昭和46(1971)年だから50年もたたないのに老朽化だという。千三百年びくともしない法隆寺を引き合いにだすのは無謀だとしても、素人の私は現代の建築技術で何とかならなかったものだろうかと寂しい。
先日上京した際、修復された東京駅をゆっくり見てあるいた。ドーム型の天井には圧倒された。戦災を生き延びた建造物を残すにあたって、日本の伝統的な手法と最新の技術を合わせて蘇らせた多くの専門家たちのご苦労が伝わってきた。単に修復して復元することに終わらず、この先の長い将来、少なくとも百年は活用できる施設であることを大きな課題としたという。どんな建造物も将来を見据えて建て、老朽化も想定して対策を練っているはずだが、予期せぬ自然災害や環境の変化で老朽化の対策は難しいのだろう。
94歳の母は今年も元気に敬老の日を迎えた。あちこちに機械的な支障があり、年相応の「老朽化」は目立つが、幸い生活に問題はない。高齢化は喜ばしいことのはずなのに少子化とともに問題視されて久しい。SNSだAIだと騒がしいが、高齢化も老朽化もそして自然災害も予期する力、事前に対応する技術こそ必要なのだとつくづく思う秋である。(生活デザイナー)