30代後半の仕事仲間が、いつか大学に行きたいという。小学生の時から新聞配達で家計を支えてきた孝行息子。やんちゃな時代もあったらしいが、今は立派な経営者。必死に働いている彼は、遠からず大学の門をくぐるだろう。
同じ年のいとこは一流企業を定年になったのと同時に、卒業率5%といわれる通信制の大学で猛烈な勢いで学びはじめ、着実に単位を取得している。彼女もまた、若い日にあこがれた大学の大学院にきっと合格するだろう。
みんな偉いなあと思って気がついた。私も42歳で二つ目の大学院に入学し、6年半もかかって学位を取得した。私も偉かった。
大学の定期試験の採点をしながら毎年不安になる。学べることがいかにありがたいか知らないまま彼らが卒業して、いつか親になるのだとしたら未来は暗い。高校も大学も進学率が高くなり、行くのが当たり前だと思っている人もいる。だが違う。義務教育の後はそれぞれの事情と選択。学費も生活費もかかる。働かずに勉強することの意味を考えるべきなのに、その機会もないまま社会に出る人が多すぎる。
今、食卓に関する本を執筆しているので、古い本や資料に向き合う時間が長い。日本の食器の項目ではついつい深入り。特に漆器には改めて魅せられ、老後? の学びの方向を得た気がしている。調査しながらの執筆は楽ではないが、同時に学べるのはありがたい。「有り」「難い」としみじみ思う。(生活デザイナー)