函館市堀川町の元高校教員、佐藤守彦さん(77)が、亡き母を供養するため徒歩で1年に88日間の墓参りを続け、今年で10年目を達成した。少年時代、自分が非行に走って母に味わわせた苦しみ、母の死に目に会えなかった親不孝に報いようと、春夏秋冬、片道9キロの道のりを墓参りに行った。佐藤さんは「10年は一つの到達点。元気な限りは母の供養を続けたい」と意欲を見せる。
佐藤さんは小学5年で父を病気で亡くし、母のミヱさん(享年99)が女手一つで育てた。小・中学生時代は不登校や非行に走り、母に苦労をかけたという。
更生して教員となり、三石高校(閉校)や瀬棚商業高(同)、福島商業高、函館中部高定時制で教べんを取った。ミヱさんの晩年は、自宅にいたい本人の意思に反し介護施設を利用したり、病院での生活を送らせたりしたほか、臨終(2006年12月29日)には立ち会えなかった。「慚愧(ざんぎ)の念が胸に深く刻まれた」(佐藤さん)として、07年には母の供養のため四国八十八カ所を巡拝する四国遍路を行い、08年から函館で墓参を始めた。
母の墓がある陣川町まで自宅から片道9キロ。往復で約2時間を要する。ミヱさんの遺骨と遺髪、納め札をウエストポーチにしのばせ、夏の猛暑の日も、冬の氷点下の日も歩き続けた。1年の墓参日数を88日間としたのは、四国八十八カ所になぞらえた。墓前では、母にお参りに来たことを報告し、ろうそく、線香、花を手向け、母に伝えたかったことを書いたお札を納める。
12、13年は母の供養で徒歩で北海道一周、縦断に出掛けたため一時中断したが、今月26日に10年の節目を迎えた。
17年12月30日には、最愛の妻・正子さん(享年69)が旅立ち、茫然自失(ぼうぜんじしつ)の日々が続いたが「天国から『お母さんが寂しがっているよ。私が一緒に行ってあげるからね』という妻の声が聞こえ、私の背中を押してくれた」と佐藤さん。今では正子さんの遺骨と遺髪も身に付け、母の墓参に行くようになった。
佐藤さんは「人に対する優しさについて以前より深くなった。母が授けてくれたと思う。母の供養を全うしたとは言えず、元気なうちは墓参に行きたい」と決意を新たにしている。(山崎大和)