慶応義塾大学名誉教授の宮崎揚弘さん(76)=神奈川県在住=がこのほど、1934年3月21日に起きた昭和9年の函館大火についての研究成果を「函館の大火 昭和九年の都市災害」(法政大学出版局)としてまとめた。80余年の歳月が経過し、実際に被災した人も少なくなる中で、市民ら139人の新たな証言を掘り起こし、烈風下で起きた大惨事の記憶を次世代へとつなげる貴重な一冊に仕上げた。
函館大火は、34年3月21日午後6時53分ごろ、住吉町から出火。同日夕方は低気圧に伴う南南西の風が強く吹き、次々と住宅に延焼。風向きは徐々に変化する中、半日間に渡って火勢は収まらず、当時の市街地の約3分の1に当たる416・3ヘクタールを焼き尽くした。死者は2166人、負傷者は9485人、被災者は10万2001人に上った。
宮崎さんの専攻は近世フランス史で、幾多の災害に見舞われた都市トゥルーズ市の研究などを長年行ってきた。日本の都市災害にも目を向け、函館は道教育大学釧路分校(当時)の教員時代に訪れたことがある縁もあって、この15年ほどは函館大火の資料収集を進めた。昨年までの3年間は計20回以上函館を訪れ、大火の記憶を持つ市民の証言を集めた。
1月に出版した「函館の大火」は3部全10章で構成。自然環境や当時の都市社会状況から始まり、大火当日の様子は火の手から逃れる住民ばかりではなく、亀田や五稜郭、湯川地区、大野や七飯、戸井地区など市街地外縁部からの視点も加えた。
宮崎さんは「青森県大間町にも目撃者がいると聞いて、フェリーの中で話を聞いた。人から人へとリレー式に証人を集めた」と話す。下北半島では「空一杯真っ赤になっていた」などの声や、時間の経過とともに東側に延焼していく様子を記憶している人からも証言を得た。
鎮火まで半日近くかかった大火災となったが、焼死よりも水死が上回ったのも特徴。火の粉を避けて大森浜に逃れた人たちが大波にさらわれたり、橋の崩落によって川に転落するなどした。当時の記録を裏付ける新たな証言を重ねることで、緊迫した状況をより詳細に記した。
このほかにも大火後の復興の様子や物価高騰、伝染病、犯罪の増加など現在では語られることがない社会状況の変化も記載。被害拡大の要因については、陸軍や警察・消防、市役所の間で連携がなかったことを挙げ「各機関が硬直性を露呈して柔軟性を欠いた」と指摘している。
宮崎さんは「証言を下さった方は高齢で、早くまとめなければという切迫感があった。何人か亡くなられてしまい、お見せできなかった人がいたのは残念。今年の大火の日を迎える前に届けることができた」と話している。
四六判302ページ。3600円(税別)。問い合わせは法政大学出版局(03・5214・5540)、または各書店へ。(今井正一)