【奥尻】死者・行方不明者が230人に及んだ1993年の北海道南西沖地震から30年となった12日、最も大きな被害を受けた奥尻町では、青苗地区の慰霊碑「時空翔」で献花が行われた。正午には島内全域にサイレンが鳴り響き、町民は職場や自宅などで黙とうをささげた。
12日午前9時、防災無線で新村卓実町長の町民への録音メッセージが流れた。新村町長は「災害を風化させることなく、災害から得た貴重な教訓と経験を未来に伝えていかなければならない」と語り、町内で犠牲になった198人の尊い命をしのぶため、時空翔での献花と正午の黙とうを呼び掛けた。
町は白のカーネーションを用意し、午前10時から献花の受け付けを開始。町内外の遺族らが訪れ、献花台に花を手向けた。
滋賀県彦根市を拠点に災害ボランティア活動を展開する「災害アウト・サイド」の正村圭史郎代表(55)は、2013年の追悼式も訪れたといい「遺族としてはまだ30年。悲しみに耐えられないものだと思う」と思いを寄せた。10日から観光で来島していた滋賀県草津市の小沢薫さん(86)は、同日から2日間、奥尻島津波館で災害の様子などを学び「自然の怖さを感じ、人間の力はいかに無力かということを思い知らされた」とし、「考えうる限りの備えをしていきたい」と話した。
昨年までのコロナ禍の3年間を除き、7月12日に時空翔でろうそくを灯す活動を続けてきた「時空翔を灯す会」の制野征男代表(79)は、震災翌日に海岸沿いで見つけた遺体をリヤカーで国保病院に運んだ当時を思い出しつつ、「地震が起きると津波が来る。島民は特に思いを呼び戻して」と話した。
正午、町役場では職員が自席などで起立し、屋外スピーカーからのサイレン吹鳴に合わせて黙とうした。また、震災当時や復興の様子を伝える「奥尻島津波語りべ隊」の1人、竹田彰さん(70)は自宅で黙とう。「セレモニーがなく献花のみで寂しい」と話していた。(入江智一)