臥牛山6月12日・舛添知事の対応
問われていることの本筋をとり違えると、ことは意図した方向と逆に回り始める。東京都の舛添知事の政治資金の使途や公用車使用などの問題がどんどん深みにはまっていくのも、その例に漏れない▼政治家は例え法に触れなくとも疑惑を持たれてはならない立場。というのも、信頼に関わるからで、説明責任が云々される理由もそこにある。一連の問題で舛添知事がとったのは「違法ではない」という観点で押し切る道だったと思われる▼表面化した当初「規定通り」「問題ない」と発言していたことが一つの証だが、弁護士に調査を依頼したのもその延長線上の対応。確かに思い描いた通りのお墨付きをもらったが、状況はむしろ逆に▼本筋として問われていたのは、違法か否かの判断もさることながら、道義的な観点の「不適切」な部分だったのだから。一般人なら、改めます、で通るが、そこが一般人と政治家の違うところ。最初からそう受け止めていれば、対応も自ずと違っていただろう▼「不適切」に対する認識が甘かった、だから説明も「不適切」となり、結果として疑惑が増幅、信頼は遠のいていくことに。13日と20日に総務委で集中審議する東京都議会に向けられる目も、また厳しい。(A)