紅茶には思い出が多い。子供の頃の家は狭い集合住宅だったが、昭和30年代にしてはモダンな丸いダイニングテーブルがあった。来客があると母は白いレースのテーブルクロスをかけ、ノリタケの白い紅茶茶碗でもてなした。
学生時代に通った生け花教室では、お稽古のあとにお茶の時間があった。紅茶を飲みながら器や美術のお話を聞くのが楽しみだった。その頃も続けていたピアノは、先生の米国人の奥様が紅茶のトレイをお持ちになるのを合図にレッスンが終わった。クッキーが2枚添えてあった。そのタイミングと紅茶の香りがなんとも素敵でいつもワクワクした。
だが紅茶と言ってまず思い出すのは、北海道教育大と函館短大で長く教壇に立たれた畑井朝子先生である。週1回札幌から通っていた私を、紅茶を用意して待っていてくださった。少しでも遅れると玄関に立って心配なさるので、到着するやいなや先生のお部屋に走った。大変な紅茶通で壁一面にさまざまな紅茶の缶がびっしり積んであった。短い休み時間も紅茶をいれてくださった。多めの茶葉をお使いになる独特ないれ方をなさるので、少し濃いなと思うこともあったが、「おいしいです」と言うと少女のような笑顔で喜ばれた。
その先生の訃報を最近知った。先生から学んだことは食文化など計り知れない。だが最大の教えは、お茶の時間が育む人の豊かさとその意義だったように思う。学生も大勢集う研究室にはいつも紅茶の香りが漂っていた。素晴らしい先生だった。(生活デザイナー)