親友が13年間相棒だった愛犬を亡くした。健気に仕事を終えた彼女と一緒に、私もボストンテリアのブルを見送った。
1年前、肺に腫瘍(しゅよう)が見つかり余命宣告されたが、彼女は手術や抗がん治療を選ばず、食生活や生活環境を工夫しながら自然に見守り続けた。体調の良い日は散歩を楽しみ、餌を変えるとよく食べた。大きな目と可愛い仕草はいつもみんなを笑顔にしてくれた。悩まされていた咳もおさまった夜、彼女の隣で眠ったまま安らかにブルは逝った。忙しい飼い主を煩わせることなく、実に立派な最期だった。
年齢や病状を熟慮の末、自宅での看病を決意した彼女も立派だった。医療は刻々と進歩している。人間も同じである。だが最新の医療に期待するか、延命治療を拒否するかは本人と家族の決断である。ペットの場合は飼い主が決めなければならない。彼女は賢明だったと思う。
15歳の愛犬を癌(がん)で亡くした別の友人は、莫大な費用をかけて手術を繰り返したが、犬の苦しみは軽減されなかった。できることは全部やった、というこちらの思いより、苦痛を和らげてやることが大切だったのではないかと後悔しつつも、あの時は必死だったと振り返る。
ブルの骨は標本のように美しく硬かった。業者の方も「食事と環境が良かったのでしょうね」と驚いていた。健康な生活のために日々奮闘する料理研究家の親友に、ブルが残した最高のメッセージだったと思う。(生活デザイナー)