「どうしてもっと勉強しないのだろう。なぜ夢に向かって頑張らないのか」と大学の講師仲間は口々に言う。教える気満々で授業に臨んでも、学生側の情熱が感じられないと皆嘆く。同感である。自分たちが若かった頃のことを考えると批判はできないが、確かに、夢を語り、それに向かってがむしゃらに頑張る学生は少なくなったように思う。だが、親や教師の勧めで選んだ道や、深く考えず入学した学校なら、夢を持て、頑張れ、と言われてもそれは難しいかもしれない。
同僚と話しているうちに、特別な夢などなくてもよいのではないかという気がしてきた。若い日の夢を捨てられず周囲に多大な迷惑をかけ続けて年老いた人がいる。身の丈以上の夢にこだわりすぎて足元の幸せに気付かない人もいる。夢は時に魔物でもある。
小学校に入ったら「友だち100人できるかな」という歌詞の童謡がある。たくさんの友だちを持ち、大きな夢を持てと親は子供に思う。世間もボーイズビーアンビシャスと背中を押し続ける。だがそれが辛い子供や若者もいるのだ。友だちは100人もいらない。大きな夢などなくてもよい。ちょっと頑張れば手が届く、ささやかな目標がいくつかあれば人は生きていける。昨日できなかったことができる喜びは大きい。60代も後半になり、やっと少し分かってきた。(生活デザイナー)