食生活論の講義で、外食産業の近年の広告について触れた。新聞や雑誌、テレビだけでなく、インターネット上での告知や消費者による情報の拡散が際立ってきたことは学生たちも周知のことである。フェイスブックやインスタグラムの私自身の経験を話したところ、その日のうちにフォロワーが増えた。学生たちだろう。そう思うと急に気軽な投稿ができなくなった。個人的な写真や内容が投稿しづらくなってしまったのだ。同時にフェイスブックやインスタグラムは誰のために何の目的でやるか、あらためて考えるよい機会にもなった。
実はフェイスブックに少々疲れてきている。知人たちのランチや晩ご飯はもちろん、人間関係は私には必要な情報ではない。はからずも私の居場所や交流関係が意図せず広まることもある。同感してくださる方は多いと思う。もっとも、その不自由さを上回るプラスの機能が評価できるから大勢の利用者がいるわけで、私もまだやめるつもりはない。
だがインスタ映えという言葉を楯に生まれた奇妙な現象はやはり看過できない。写真は休憩時間に自宅で撮ったものだが、インスタ用にティーマットを移動させて椿の小枝も添えた。あれこれしている間にコーヒーは冷めた。貴重な時間をむだにした気がした。所かまわず写真を撮る無礼はもちろん、今一度考えなおしたいとしみじみ思った午後だった。(生活デザイナー)