観光地には必ず見るとこと美味しいモノがある。いや、見るところと美味しいモノがあるところを観光地という。だが、それらに頼り過ぎていてよい時代は終わったのではないだろうか。名所旧跡もグルメ探訪も、繰り返し旅人を呼び寄せる力には限りがあるだろう。信心深いリピーターが神社仏閣を毎年訪ねるのは例外である。
「時間を作ってでも行きたい」。そういう所こそ、今求められているのではないだろうか。不便でも特段の名所・名物がなくても「行きたい」と思わせる何にかがあれば、人は旅に出る。
先日、函館のホテルに宿泊した。幸い知り尽くした町である。観光の必要はない。ひたすら部屋で講演の準備をしたのだが、つくづく思ったのは、旅の目的は「時間」だということである。時間があれば旅をする、という意味の時間ではなく、商品としての「時間」こそ、忙しい現代人には何よりうれしいのではないだろうか。
かつて「優しい時間」という富良野の喫茶店を舞台にしたテレビドラマがあった。お客はミルでコーヒー豆を挽(ひ)く。それは最高の小道具だった。函館のホテルには写真のようなセットがあった。流行作家の気分でパソコンに向かって疲れた午後、私は豆を挽いた。良い香りが部屋中に広がった。今度は仕事を抱えた夫や娘たちを連れてこよう。何よりのもてなしは「やさしい時間」だと痛感した。(生活デザイナー)