函館ゆかりの歌人・石川啄木の命日となった13日、函館啄木会(岡田弘子代表理事)は市内住吉町の東海山地蔵堂で、106回忌の法要を開き、参列した関係者や市民43人が墓前などに手を合わせ、函館を愛した才能ある歌人をしのんだ。
参列者は堂内で焼香を済ませた後、強風の中、石川啄木一族の墓へ移り、墓前に手を合わせた。法要後の追悼講演には、市文学館の元説明員ボランティア竹原三哉さんが「お墓にまつわる話」と題して講演し、関係者が納骨された時期などの謎に迫った。
現在知られている墓碑は1926(大正15)年7月末、啄木の義弟で歌人の宮崎郁雨や当時の函館図書館長岡田健蔵によって建てられ、啄木や妻をはじめ、3人の愛児や両親などが眠っているとされている。竹原さんは、墓碑建設の経緯を語り複数の作家らが残した記述の違いに着目。「一族関係者の遺骨が埋葬、納骨、移葬した時期などに違いがある。今となっては証言者がおらず、分からないことも多い」と語った。
今年は啄木が函館を訪れて110年の節目にあたる。市内の歌人で鈴蘭の会を主宰する芹澤伸子さん(67)は「法要に来るたび、春の訪れとともに、ひとつの節目を感じている」と話していた。(半澤孝平)