【福島】浄土宗吉野教会の跡地(吉野74)に、石地蔵が突如姿を表した。石仏は高さ1・74メートルで、台座を入れると2メートルを越える。同教会が解散し建物が解体されたことで、国道228号沿いに姿を現した。福島町教委の鈴木志穂学芸員は「歴史的に貴重なもの。なんとか保存したい」と話している。
福島町史研究会の中塚徹朗会長によると、石地蔵は江戸時代の後期、福山正行寺(松前町)の僧、興誉了禅が白神峠の頂上に建立したとされる。幕末の画家、平尾魯仙は「箱舘紀行」で「この茶屋の左り三十歩許りに五尺余りの石仏あり」と記し、挿し絵に津軽海峡を望む白神峠の頂上に石地蔵を描いている。
その後、石地蔵は数人の村人の手で峠から運ばれた。1892(明治25)年に地蔵堂が完成し、現在の場所に安置され、吉野教会が設立された。
同教会は、石地蔵を信仰のよりどころとし、円空仏などとともに大切に安置してきたが、建物内では上半身しか見えない状態だったため「これほど大きな地蔵だったとは」と関係者も驚いている。
現在は建物が解体され、石地蔵は雨ざらしとなっているため、地蔵の老朽化が懸念されることから、関係者は保存方法の検討を急いでいる。(佐藤由紀彦)