第2次世界大戦末期の1945(昭和20)年7月14、15の両日に起きた米軍機による「函館空襲」の犠牲者を追悼する慰霊祭が、函館市船見町の称名寺と、同青柳町の函館護国神社で行われた。参列者は静かに手を合わせ犠牲者の冥福を祈るとともに、平和への思いを新たにした。
〇…函館護国神社(大橋東城宮司)では、北斗市沖に沈んだ駆逐艦「橘」の慰霊祭が行われ、当時の乗組員2人を含む8人が参列した。
青函連絡船などの護衛に当たっていた橘は、米軍機約100機の襲撃を受け7月14日午前7時ごろに沈没、乗組員280人中140人が死亡した。
慰霊祭には橘に乗船していた三留直高さん(92)=神奈川県=と堀口頼秀さん(87)=群馬県=も参列。三留さんは「毎年ここに来ると身が引き締まる」、堀口さんは「平和の大切さを実感できる」と話した。
また、祖父が橘の乗組員で、2年前から慰霊祭に参加している大学生の海老名惇さん(20)=神奈川県=は「戦争の記憶を伝える橋渡し役になりたい」と意欲をみせていた。(小川俊之)
○…称名寺(須藤隆仙住職)では、函館空襲を記録する会(浅利政俊代表)主催の慰霊祭があり、遺族や関係者など15人が参列。犠牲者の霊を慰め、函館で起きた惨劇を風化させない決意を新たにした。
浅利代表(86)が境内にある「第二次世界大戦函館空襲戦災跡地戦災者慰霊碑」の碑文を朗読。同寺の僧侶が読経する中、参列者が焼香した。浅利代表は追悼の辞で「命こそ宝とする日本のため、函館人としての心を持ち、慰霊碑に込めた平和への願いを伝えていきたい」と話した。
札幌鉄道郵便局職員の父を亡くした城本キサ子さん(90)=札幌市=は「このような慰霊祭はありがたく、元気なうちは訪れたい」と話し、最近の政治情勢について「いろいろ変化はあるが、戦争が起きないようにしてほしい」と願った。(山崎純一)