義母が残した食器を使ってひな祭りを前に食卓美学の講座を開いた。古い器の魅力を伝えるには良い機会だった。だがその夜、また地震があった。幸い昨年秋ほどの揺れではなかったが、瞬間その時の記憶が蘇ったのに、食卓にいた私は身動きすらできなかった。
何より身の安全のはずが、瞬時テーブルの下にもぐるでもなく、出口の確保でもなく、じっとしたままだった。火の点検と母の心配は揺れが収まってからになったが、それも、たまたま家にいた娘に頼むしかなかった。先月末足首を骨折して目下ギブス生活のため、素早い行動はできない。もしこんな地震が誰もいない時に起こったらと思うと血の気が引いた。
もうすぐ95歳になる母は誰かの支えがなければ歩けない。わが家には大型犬もいる。テレビがいかに避難せよ、安全を確保せよと連呼しても、骨折した私が高齢の母と大型犬を連れて避難できる方法と場所があるだろうか。それが深夜で雪の季節であれば、何ができるのだろうか。
絶望的な気分になりながら、わが家の地震に対する備えが甘くなっていることを猛省した。昨秋の地震直後の緊張感はすでになく、防災対策のあれこれは忘れていた。どこまでが仕方がないことなのか、せめてできることがあるなら、それは何か。「人事を尽くして天命を待つ」そんな言葉が浮かんできた。日々の暮らしを見直して、まずは命を守ることを考えたい。(生活デザイナー)