頻繁に見舞わなければならない高齢の身内がいるが、東京で入院しているので簡単には行けない。私たちのように何カ月も忸怩(じくじ)たる思いで過ごしている人は多いはずだ。だが誰も面会に誰も来なくなった高齢者のほうが、はるかに寂しい思いをしているに違いない。ただ手を取り、直接目を見て声を聞くこと、そんなささやかな望みが叶わない。辛い夏である。
矛盾という言葉の語源が頭をよぎる。どんな盾も突き通す矛と、どんな矛も防ぐことができる盾の両方を売る男に、その矛でその盾をついたらどうなるか問う話である。つじつまや道理が合わない例として有名だ。外出は控えてと促す一方で「旅に出るなら援助するよ」と景気のよい掛け声。判断は各自に任せると言われても戸惑うばかりである。
わが家は迷った揚げ句、ウポポイ(民族共生象徴空間)に行くことにした。やっと予約が取れたと思ったら、博物館の入館は午後7時からの指定しかないとのこと。「ぜひ来てください、でも午後7時から1時間だけにしてください」ということだ。入館制限をせざるを得ない現状ではやむを得ないのだろうが、もったいないので楽しみは先に伸ばした。
前回この欄に「足元の幸せを見つめる夏にしたい」と書いたが、やはりそれが一番なのだろう。長い自粛時間で家の片付けをしたが、その際迷った末捨てずに残した古いガラスの器と古い夜食膳に庭の葉を添えてみた。いつものわが家が違って見えた。家でできることを探そう。今はがまんの時である。(生活デザイナー)