家人が先週の本欄を読んで悲鳴をあげた。間違いがあるという。仕事で訪ねた中国のチンタオについて書いた際、「チンタオはかつてドイツ領だった」と書いたつもりで「かつて中国領だった」と書いてしまった。完全な私のミスである。他の報告記にはドイツ領だったと書いたのに、なぜこの大切な連載で間違えたのだろうか。ついにこんな失態をするようになったのかと長い時間落ち込んだ。
連載でも論文でも何度も推敲する。しつこいほど見直した後は必ず音読して言葉の重複や表現の過不足を探す。だがこの方法も完璧ではない。印刷して初めて気付くことがあるからだ。周囲からもそんなため息がときどき聞こえてくる。冷静な他者にしか見えないモノがあるということだ。
これは文章に限らない。思い込みが強くて目の前のモノが見えないことは日々の暮らしの中にも多々ある。憤ったり、悲しんだりしたことが、冷静になればそれほどの大問題ではなかったと気付くことがある。逆に、大切にすべきことに気付かないでいることもある。これからはより一層慎重に、何事にも時間をかけて取り組もうと思う。
さて、それにしてもチンタオの街並みは美しかった。一本裏道に入れば、中国らしい活気のある現実も見られるが、ドイツ領だった時代をそのまま残す街の力が、私はうらやましいと思った。(生活デザイナー)