週末になると地元の野菜や果物を売る素敵なマルシェがあちこちにオープンする。人気があるのが「新しい野菜」。たしかに何の仲間か分からない野菜を最近はよく見かける。
農学部の学生時代、蔬菜(そさい)学という授業で、白菜とキャベツのかけ合わせなど、新品種を作るための手法を学んだ。ある時、私の質問が教授をひどく怒らせた。新品種を次々に生む必要はあるのですかと質問したところ、ご自分の研究を無知な大学院生に否定されたとでも思われたのだろうか、先生は予想外に激怒された。
キャベツも白菜もおいしいのに、新品種はなぜ必要なのかという稚拙な質問であり、他意も悪意もなかった私は困惑した。
生命科学を担当するようになり毎年、品種改良や遺伝子組み換えについて教えるたびに、学生時代のこの記憶がよみがえる。教授から答えが聞けなかったからだ。そして私自身も未だに答えを探せずにいるからだろう。品種改良も遺伝子組み換えも、限られた地球環境にあふれる人類のために不可欠な研究領域である。
それはよく承知している。だがしかし、国光(こっこう)、インド、デリシャスなど、個性的なリンゴはどこへいったのか。塩や砂糖をかけて食べたあの濃い味のトマトにはもう出会えないのか。次々に生まれる美しく美味しい果物や野菜を前に、失った味も懐かしい。ヒトはかくもわがままなイキモノである。(生活デザイナー)