学生時代を過ごした弘前を訪ねた。卒業後はなかなか行く機会が無かったのだが、今年初め、昆虫学者だった恩師を亡くしたこともあり、週末、急に弘前行きを決めた。
青森空港に迎えにきてくれた先輩とは顔を見合わせて笑った。40年の歳月はお互いの姿をすっかり変えていたが、混雑する空港でもすぐに見つけることができた。弘前まで行ったが、先生のお宅に伺うのはやめた。
今は静かに過ごしていらっしゃるご家族を訪ね、そこで涙することやお墓で手を合わせることより、懐かしい町を歩き、先輩と思い出話に花を咲かせ、お互いの研究や仕事の話をすることのほうが良い気がしてきたからだ。かつての弟子たちのそんなおしゃべりを、先生はきっと岩木山の空の上からご覧になり、喜んでくださるのではないか。それこそが供養ではないかと私は思った。
実は先生には卒業後も何度もお会いした。数年前、ある著名な学者を偲ぶ会でお会いしたのが最後になった。千人近い出席者のその会の帰り道、「ボクが死んでもこんなに盛大な会はできないだろうなあ」と真顔でおっしゃるので「大丈夫、私が盛大にやってあげます」と言うと「心強いですね」と大笑いなさった。そんな約束をしたのに、この夏の偲ぶ会には参加できない。
だが京都駅で別れるときの「これからも自分らしい仕事をしてください」という先生の言葉を支えに、先生と同じ90歳までは、しっかり仕事をしようと心にちかった弘前の旅だった。(生活デザイナー)